徒然なる間々な日記
(Last UpDate : )
今の生活地域は山口県。ときどき、ふらりと遠くへ。
一日が終わるとき、何となく不安になる今日この頃。
「爺さん、いくつの頃が一番楽しかった。」
「今だな。生まれてよかった、とても楽しい人生ってヤツさ。」
MASTER KEATON(©浦沢直樹)より
なれたらいいな、てへへ。
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2010/09/19(日) 音楽って楽しいね!ありがたいね!
昨日、
広島市立大学で、演奏して来ました。
広島ミュージックジャンボリーってイベントで、山口から参加させて頂きまして。
いや~、
楽しかった!技術的には無茶苦茶だったけど、
ライブ的にはよくやった!って感じ?
わざわざ見に来てくれたお友達も、
笑い転げてくれたみたいだし
(笑)。
その後、一緒に食べに行った
坦坦麺も美味しかったし、素晴らしい一日だ!
参加バンドでは、
The STRIPPERがとても良かったです。こんなオッサン
(失礼!)になりたい!
今回、ライブでドラム叩いて、痛切に思ったのが、
マイスネアが欲しい、って事。
いや、実は、ドラマーってのは、スネアドラムとフットペダルくらいは、自前で用意するモンなんですよ。
でも私、持ってないんです。必要に迫られなかったんで。
それが、今回は必要だったのです。市立大学軽音部のスネアは借りたんですが、いや、ほんと、こりゃマイスネア要るな、と
(汗)。
で、今日。
近所の楽器屋で、スネア見せて貰ったんですけど、これがまぁ
高価い!
ちゃんとしたの買おうとすると、
3万円じゃ足りない。
でも、音を聞き比べさせてくれたんで、欲しいスネアの目星を付けましたよ。
CANOPUSの
MO-1455!はい4万円!これでも安価モデル!うひー。
・・・ま、買うのは今度ね。
まぁ、そんな風に店員さんと話してて、ちょっと思ったんですよ。楽器店って敷居が高いなー、って。
私、知識とか技術とか殆ど無い割に、ライブの回数は重ねてるんですよね。
なので、店員さんとの専門的なトークが、もう怖いのなんの
(笑)。知らねーよ、分かんねーよ
(涙)。
だから、こんなドラムを許容してくれる、
ウチのバンドは偉いなぁ、って思うのです。
そのバンドに演奏する場を提供してくれる、
防府のチキバンはありがたいなぁ、って思うのです。
上手くなきゃ楽器しちゃダメ、とか、バンドやるからにはプロ目指さないと、とか、そんなん嘘ですから。
好きだったら大丈夫!「ちょっとやってみたいなー」で、充分、楽器やる理由ですよ。
・・・あー!上手くなりてー!!恥ずかしいー!!!
(おいおい)
近所に、
自動車工具専門店が出来ました。
すげー嬉しい!わざわざ、工具買いに広島まで行ってたんですもん。助かるー!
で、色々購入。
この10円玉をご覧あれ。右半分は、買ってきた
金属磨きでちょっと磨いたんです。研磨剤ナシでこの効果!
研磨剤が入ってない、ってのが良いですよー。安心して使えます。
ただ、
臭いがちょっとキツイです。
んで、もう一個。
LEDが
72個も付いた、凶悪な
ワークライト!
マグネットが付いてるから、金属に貼り付けられるし、フックも付いてて引っ掛けても使える。
ほんと、超便利!
クルマが壊れるときって、大抵夜中なんで、これは助かる
(笑)。
いやぁ、ありがとうアストロプロダクツ。
山口県の
美味しいうどん屋を教えてもらったし、仕事がシンドイのも緩和されてる気がする。
10月後半まで、結構な激務だけど、どうにかなるといいなー。
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2010/09/07(火) 今敏監督を悼む
精神的にも体力的にも厳しい長期出張を終え、山口に帰ってきました。
プライベートでも、やらにゃイカン事がいっぱい。
取り敢えず、目前に迫った
ライブの自主練習だな!
広島ミュージックジャンボリー2010、
広島市立大学講堂にて。9月18日の土曜日、11番目なので終わりの方です、ヨロシク。
上手くはないですが、
楽しくやります!
あ、バンド名は
センゴクです~。
先日、
アニメーション監督の
今敏氏が
亡くなられました。
私は、
パーフェクトブルーで初めて知ったんですが、観終わったとき「
やられた!」と嬉しくなったものです。
今敏監督を悼んで、夜な夜な、作品を観直しているところです。
パプリカ、
東京ゴットファーザーズ、
千年女優・・・。今から、
パーフェクトブルーを観ます。
妄想代理人は、まだ観てないので、近日中に。
その今敏監督が、遺書を遺しています。
こちら。
この遺書を、いつまでも遺す為にも、私の日記で引用する事を、お許し下さい。
-
2010年8月25日(水曜日)
さようなら
忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。
頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。
「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。
だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、
「ちゃんと死ぬための用意」
にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。
その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。
もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。
後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。
「はぁ…やっと死ねる」
なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。
「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」
聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。
それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。
私は自宅で死にたい。
周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。
妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。
あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。
寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。
「死ぬってのも悪くないかもな」
理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。
ただ、一つだけどうしても気に入らない。
「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」
と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。
「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」
こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。
死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。
死ぬのもツライよ。
断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。
ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。
私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。
自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。
ところが。
肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。
ありゃ?
ある意味、こう思った。
「死にそびれたか(笑)」
その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。
不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。
妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。
エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。
そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。
実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。
インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。
家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。
それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。
病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。
だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。
顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。
みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。
自分の生きた世界を愛している。
そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。
いま死について思うのはこういうこと。
「残念としかいいようがないな」
本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。
両親とマッドハウス丸山さんだ。
今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。
遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。
許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。
「すいません、こんな姿になってしまいました…」
丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。
感謝の気持ちでいっぱいになった。
怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。
勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。
映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。
何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。
もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。
スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。
けれど少しは理解もしてやって欲しい。
だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。
かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。
丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、
「大丈夫。なんとでもするから心配ない」
とのこと。
泣けた。
もう号泣。
これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。
今回も同じだ。私も進歩がない。
丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。
才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。
何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。
確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。
それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。
今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。
本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。
「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」
突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。
一大決心をして親に会うことにした。
両親だって会いたがっていた。
しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。
私は本当に幸せだった。
ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。
私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。
寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。
「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」
何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。
顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。
二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。
数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。
幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。
特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。
あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。
でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。
「私、最後までちゃんと伴走するからね」
その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。
「私の妻はすごいぞ」
今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。
私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。
思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。
けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。
生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。
最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。
自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。
しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。
深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。
本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。
2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。
何から何まで、本当に世話になった。
で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。
そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。
心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。
世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
今 敏
- 今敏監督オフィシャルサイト『KON'S TONE』 NOTEBOOKから引用
今敏監督は、
残り時間を我々にも分けてくれた、私はそう思います。
私の人生の中に現れてくれて、ありがとう御座いました。
走馬灯のような曲を、2曲貼り付けます。
向こうは、どんなところですか、監督。
ロタティオン(ROTUS-2) / 平沢進
グランドライフ -7L3EPT- / ハシケン
謹んでご冥福をお祈りします。
あ、クルマ、修理が終わって帰ってきました。
台風最接近で暴風雨ですけど、乗りまくってます。
まだまだ生きてるぞーーー!!!
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2010/08/20(木) うなぎとコープスパーティー、こわっ
両親が、
柳川に
うなぎ食べに行きたいと云うので、オヤジのクルマを運転して、一緒に行って参りました。
老舗の
若松屋ってとこで、なかなか美味いっす。以前、会社の仲の良い人たちと行ったことあって、目ぇ付けてました
(ニヤリ)。
・・・ただ、食べながら
母親が、「
実は、うなぎってあまり好きじゃないんよねぇ」って、
オイ!
全力でツッコミ、面白いことをのたまう母親でありました。
まぁ、「うなぎは好かんけど、ここのは食える」ってことが云いたかったらしい。
しかしまぁ、母親の体力ガタ落ちで、結構ショック。頭では分かってたんだけど。
100メートル歩いただけで、動けなくなっちゃうと云う。
柳川散策もそこそこに、離脱しました。ほんと、うなぎを食べに行っただけと云う、贅沢な昼飯だッ!
先日、
Twitterのつぶやきで見かけた、
コープスと云う言葉。
なんじゃらほい、と調べてみると、
コープスパーティーって
同人ゲームが、
PSP版で発売されたらしい。
それで、
体験版をプレイしてみたんですが・・・。
こわっ!すげー怖いっ!
このゲーム・・・、
買う前に、
体験版をやっとくべきです。
絶対。
Chapter 1が、丸々
全部プレイできるので、是非。
で、ヤバい!って思ったら、買っちゃダメ!!
私は・・・、ここまでプレイしたら、
生き残った生徒を助けてあげたいなぁ・・・。でも、
超怖いんだよなー!
ってか、売り切れ続出で、なかなか手に入らないみたいです。
それにしても・・・、
クルマを修理に出してるんですが、一ヶ月経つんですけど、
帰ってきません。
そろそろ、禁断症状が・・・!
まぁ、
サイドミラーが落っこちた(笑)んですが、手に入らないんですよ、ミラーが!
う~ん、淋しいなぁ。
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2010/07/29(木) 言えなかったこと
ウチの会社では、転勤の時期でして。
ああ、言えなかったことがあるよ。心残りだなぁ。
新しい生活、楽しくね。機会が廻れば、そのときに。
何となく、置いてけぼりを食ったような感じで、ちょっと
ローな感じ。
上の動画は、
ミドリカワ書房の
大丈夫。
云ってしまえば、
ひきこもり、
ニートの歌なんだけど、何だか
泣けるんです。
いやまぁ、ミドリカワ書房らしい
酷い歌(笑)なんですけど、そこに描かれる
孤独感が、とても胸に沁みる・・・。
「
でも大丈夫、ボクは独りじゃない」のフレーズは、確かにその場所はネットかも知れないけど、何かと
繋がっていられる、関係していられる幸福にはぐっと来るし、「
大丈夫、キミは綺麗だよ。ボクはキミの顔を見たことはないけど、分かるんだ」と、ネット上の彼女に訴える
ボクの想いは、正直、泣けるんだ。
ちゃんと、ミドリカワ書房らしいオチもついてて、ああ、素晴らしい歌です。
しばらく仕事が忙しい・・・。壊れないようにしないと。
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2010/07/10(土) 泣けるスレッショルド低下中
もうちとだけ、
はやぶさ引きずります。
やっぱり、
号泣。バラードはイカン!泣くに決まってる
(笑)。
探査機の名前を並べて歌い上げるところと、最後の
はやぶさの言葉が、堪らんなぁ・・・。
私はこんな風に、死ぬときに思えるんだろうか・・・。
そんなわけで、最近は、
宇宙が
個人的なブームでして、
王立宇宙軍オネアミスの翼とか、
銀河英雄伝説なんかを観直してます。
オネアミスは、先日、自宅で飯会やったときに、後輩たちに無理矢理観せました
(笑)。
主人公シロツグが叫ぶ、
「
くだらないなんて、悲しいこと言うなよ、立派だよ!みんな、歴史の教科書に載るくらい立派だよ!」とか、
「電圧、
いける!」「油圧、
充分!」「ポンプ、
やれる!」「燃料、
いける!」「発射台、
条件付きでヨシ!」とか、
宇宙ロケットを見上げる敵味方とか、そりゃあもう胸を打ちまくり。先輩・岩田雁之助、
号泣。
・・・後輩!こっち見るんじゃねえぇ!!!
・・・それにしても、シロツグの叫びは、
JAXAの予算削った事業仕分け人に聞かせたいなぁ。
銀河英雄伝説も、やっぱり素晴らしい。
本伝だけで4期110話、外伝もたくさんあるんで、最近は第3期を見返してたんですが。
本伝第3期の83話、ヤン・ウェンリーに近付くユリアン・ミンツの
足の震える描写とか、あのニヒルで強いシェーンコップが漏らす
「
よせよ・・・、ここは演技学校の練習場じゃない。悲劇の舞台役なんざ、やりたくないぜ・・・!」
と
震える右手とか、・・・涙が止まりません。
泣く繋がりで、これも紹介。
動画が削除されてたら、すいません。
けいおん!の第二期、
オープニングその2です。
山口県では放送が何週間が遅れてるので、まだこのオープニングでは無いんですけど。
けいおん!で、何で泣くんだよ!!って云われそうですけど
(汗)、
1:17からの、「
大好き、大好き、大好きをありがと」のフレーズは、
ほろりと来ます。
そして思うのです。
けいおん!は、これで終わりなんだ、と。
けいおん!の彼女たちは、前に進もうとしている。私は、前に進めてるだろうか・・・。
一番好きなのは、
つむぎです!でも、彼女にするなら、
りつです!
けいおん!で思い出した。
今度、
広島で演奏します。ウチのバンド
センゴク。
広島ミュージックジャンボリー2010ってイベントにて、
9月18日(土)、
広島市立大学で。
初県外ライブなんですケド・・・、出ていいんかなぁ、私
(汗)。
暇で、しかも憶えてたら、おいでませませ。
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2010/06/20(日) オカエリナサイ、はやぶさ
おかえり、はやぶさ・・・。
はやぶさが送った、
最後の画像。
まるで、里帰りを果たしたはやぶさの、
その瞳が潤んでいるみたいじゃないか・・・。
私は、
大気圏再突入の翌日、新山口駅のテレビで、NHKニュースの映像を見ました。
涙を堪えるの、大変でした。
本当に、お疲れさま。本当に、ありがとう。
昨日、会社の後輩の
結婚式があって。私は
二次会からの参加だったんですが。
ほんと、美男美女のふたり、絵になり過ぎて、怖いわ!!
末永く、笑って過ごせますように・・・!
でね、こっからは愚痴
(笑)。
二次会は、まあ、独身男女もそこそこいてね、独身の後輩が、女の子のところ行って口説いたりしてるんですね。
で、別の後輩が、「お、アイツはあーゆーのが好みなのか!へ~」とか、「え~、あーゆーのぉ?マジで~」とか、ま、そんな話してるわけですよ。
私はね、そう云うの、物凄く苦手で、初めて会う女の子と、何か話したい事もないし、チビチビ飲んでたわけです。
するとね、その後輩が「岩田サン、(女の子のとこへ)行かないとダメですよ!今行かないで、いつ行くんですか!」なんてね、云われるんですよ。
・・・そりゃ、あんたらの暇つぶしだろ?酒の肴に、先輩が女の子と必死で話してるーとか、面白いもん見たいだけだろ?ってね、思っちゃってね。
あー、そんな風に思っちゃう自分が、嫌だねぇ。本当に、親身になって言ってくれてるのかも知れないのに。
って、どんどん悲しくなるんですよ。いや、悲しいじゃないか。寂しい、ですかね。
結論。
酔っ払いは嫌いだ。
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2010/05/04(火) ゴールデンウィークにちゃんと休め!
相変わらず、日記の書き癖がつかないなぁ
(汗)、岩田雁之助です。
今年のゴールデンウィークは、珍しくカレンダー通り休めたので、色々遊んでます。
取り敢えず、広島から山口まで
150キロ、
自転車で帰ってみました。
4月30日、徹夜仕事が午前中で終わったので、そのまま高速バスで広島へ移動。
懇意にさせてもらってる自転車屋ヒルクライムにて、自転車を受け取り、そのまま山口へ。
この自転車は、友人のKEN1さんから譲って貰ったもので、ヒルクライムさんで整備をお願いしてたんですね。
GIOS PURE FLATって云う
クロスバイクなんですが、タイヤはロードバイクで使う物に換えてる模様。
出発が夕方だったので、40キロ先の岩国を目標にして、
岩国駅前のビジネスホテルで一泊しました。
社会人なので、ここは贅沢に。野宿とかしません
(笑)。疲れ取れないし。
翌1日は、
朝5時に
岩国出発。
でも、直後にお友達の
ドラ氏さんから連絡があって、何故か一緒に朝マック。
・・・朝5時ですよ?なにしてますのん!
結局、1時間は喋ってましたねー。朝6時に再スタートです。
山口市までのルートは、アップダウンは激しいものの、最短距離の
国道2号線をひた走りました。
峠道は、自転車で走るモンじゃありませんよ・・・。
どうにかこうにか、
11時には
防府市富海に辿り着き、バス停のベンチでくたばってたら、ロードバイクに乗った
爽やかな自転車青年が颯爽と現れて「
やぁ!」って挨拶されまして。
「
あ、どうも」って返事して。・・・よく見ると、その自転車青年、
KEN1さんなんですよねー。
広島から、自転車で追いかけてきたそうですよ。
朝4時から。
100キロ。
・・・馬ッッッッッ鹿じゃないの!?
いや、もう、これだから自転車乗りって・・・(汗)。
で、一緒に昼飯にうどん食べて、「
じゃ!」って広島に引き返して行きましたよ、KEN1さん。
唖然。
私は、最後の難所、防府市から山口市へ向かう国道262号線の上り坂にアタック。
山口市って、山の上にあるんですよ。海からだと結構高低差あるんです。
結局、
14時過ぎに、無事帰宅。
実走行時間7時間32分(休憩含まず)、
走行距離145キロ、
平均時速19キロでした。
おしりがちぎれるくらい
痛いです(涙)。もう、こんな夏休みの小学生みたいなこと、するもんかー!!
そう云えば、この様子を、携帯電話使って休憩のたびにmixiでアップしてたんですが、なかなかウケが良かったです
(笑)。
ゴールデンウィークで、こっちに帰省してた友達から、
コーヒーメーカーをプレゼントされました。
私の誕生日が近いから、って・・・。
いやぁ、嬉しかったなー。誕生日を憶えててくれたことも嬉しかったけど
(あまり人に誕生日を教えていない)、プレゼントのチョイスが
秀逸。
普段は、カリタのドリッパーに、挽いた豆入れて、自分でお湯を注いで淹れてたんですよね。
だから面倒がって、なかなかコーヒー飲むって気分にならなかったし、小さいドリッパーだったから、複数人の分量を作るのは苦手だったんです。
そこに登場、コーヒーメーカー!こだわり屋の心をくすぐる
ミル付き!
おかげさまで、コーヒーを飲む量が、半端なく増えましたよー
(嬉)。
感謝感謝!
連休中、殆ど毎日、午前中は
バイクで走り回ってます。
危うい。岩田、精神的に危うい。
何が不安で不満なのか分からないんですけど、精神状態が危ういと、クルマやバイクで走りに出る事が多くなります。
そう云う意味では、自分自身のヘルスチェックとして機能してて、それに気付く事が出来るのは良いですね。
山口在住の割に、全国的に有名なツーリングスポットである秋吉台は、殆ど行かないんですが、この連休は毎日秋吉台。
同じくツーリングのバイクと、すれ違い様に手を挙げて挨拶したり。
・・・何故だか泣けました。あー、ヤバイヤバイ。
写真は、いつも走るルートです。田舎の農村で、水を張った田んぼが美しい。今は、至るところに鯉のぼりが泳いでます。
そうそう。先月、広島まで
ライブ見に行ってきました。
ハシケン×江藤有希、
広島OTIS!にて。
人生のそばに、ステキな音楽がある、ってのは、本当に嬉しくてありがたい事だなぁ。
いつものライブ仲間と会えたのも嬉しい。最近、全然会えてないですもんねぇ
(涙)。
今度、また温品のまぁちゃんで、ホルモン食べましょうよー。
あ、ライブと云えば、私らのバンドセンゴク、6月13日に演奏します。詳細はそのうち。
最近、大ハマリなのが、
JAXAの
小惑星探査機はやぶさ。
岩田雁之助、
号泣。
6月13日、帰還予定日の夜は、空を見上げながら缶ビール呑んでると思います。
ベリーさんblogの方で、ちょろっと書きましたんで、宜しければどぞ。
最近読んでる本は、
山本弘の
アイの物語。
物語ってのは、紙に印刷された文字に存在するんじゃなくて、
読み手がそれを読んで感じるから生まれる物なんだなぁ。
さてと。こうやって日記を読み返すと、ああ、まぁ、大丈夫だね、うん。
ちょっと走ってきます。
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2010/04/11(日) ダンススポーツ選手権
岩田雁之助にとって、最も縁遠いと思われる、
社交ダンスの
競技会に行ってきました。
山口県知事杯争奪2010第15回ダンススポーツ選手権山口大会、って云う名前らしい。
お友達が、この中の、
A級スタンダードって種目に出るってんで、見に行ったんです。
社交ダンスなんて、ウッチャンナンチャンの番組でしか観たこと無かったけど、凄い!
周りは全て紳士淑女だらけ、こんな雰囲気の中に入ったこと無いよ~。
競技クラスが上がれば上がるほど、女性のドレスが華やかに!且つ、動きが無茶苦茶大きいのに、まるで流れるよう!
「すげーすげー!」って連呼してました
(笑)。
で、お友達は、クラス
準優勝。・・・すげーな、おい。
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2010/04/10(土) 新年度ですねぇ
あ、ども。ご無沙汰してます、岩田雁之助です。
新年度なんで、日記のレイアウト変えてみました。
これで、日記の書き癖がつくと良いなぁ。
先日、色々あった両親ですが、頭はハッキリしてるので一安心。
結婚しろと喧しいです。よかったよかった。
そう云えば、こっちの日記には書いてなかったですけど、
大型バイク買いました。
なんか、
油断すると死ぬところがステキですね!
まだ下手っぴなんで、花見がてら、色々走り回ってます。
岩田入り浸りの喫茶店、
HugHugCafe復活!
古い友人
フタモの奥さんが、去年開いた店なんですが、出産の為に閉めてたんですねー。
でも、この4月から
復活!シーズン2だそうで
(笑)。
相変わらず!ランチプレートも!アフターコーヒーも!いちごのティラミスも!
美味かった・・・!
友人の欲目を差し引いても、やっぱ
はぐかふぇは良いねぇ。
お店自体は、奥さん一人で切り盛りしてるんで、のんびりどうぞ。
よーし、入り浸るぞー!
■
HugHugCafe
〒756-0817 山口県山陽小野田市小野田730-2 [地図]
あ、そうそう。
ウチのバンド、
センゴクのサイト、あります。
成り行きで、私が管理してます。って、まぁ、ライブ情報更新するだけですケド。
音楽って、いいですねぇ。独りじゃない!って思えるところが、特に。
イケナイのは、
独りでいることと、
お腹が空くことですってよ?
©サマーウォーズ
仕事?仕事は、ぼちぼち。
劇場版パトレイバー2の、後藤隊長の心境。
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2010/02/04(木) 年は明けたが
年が明けて、仕事面では、長期出張第二弾、第三弾と、身体も心も苦しかったです。
取り敢えず、何とか山口に戻ってきましたが。仕事って何でしょうね?
出張から帰って来ると、母親が入院していました。
「帰ってくるのが遅い!」と、近所のオジサンから叱られました。そりゃそうだ。
歩いているときに意識不明になって、そのまま近くにあった用水路に転落。
肋骨3本と足の指1本を骨折。その他、打撲多数で全身紫色です。
人工透析するたびに、紫色の範囲が広がって、痛いそうです。
同時期、父親の耳が聞こえなくなり、電話も来客も気付けず、両親のお互いが連絡を取れない状態になってしまいました。
頻繁に実家に戻ってはいますが、ずっと付き添うわけにもいかず、近所の人にお世話になってばかりです。
近況報告でした。
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